何度言っても分からない、何度教えても覚えない・・・そんな経験をお持ちの方もいるかと思います。今日は若い人に物事を教えるのは難しいと再度思い知った日でした。表では「分かりましたとか」「はい」と納得しているそぶりを見せるが・・・たぶんわかっていないだろう。
■教育の欠如した社会
学校では国語や数学、理科、社会、など勉強を教えます。それは今でも変わらないだろうと勝手な推測だが思うことがある。実際に今の教育を受けたわけでもなく全ての若者を知っているわけではないが、生きるために必要な「チカラ」の欠如が目に見えるのだ。
生きていくことは楽しいこともたくさんあるが、つらいことや苦しいこともある。そのことに耐えられるのか、この先どうやっていくのか、ちょっと心配してしまったのである。
なぜそんなことを思うのでしょうか。他人の人生にとやかく口をだすこともないとおっしゃる方もおられようが、私は心配をしてしまう。こんな若者が増え続け日本の中心となる世代になったときどうなりますか。そこまで広げて考えたでしょうか。
同じことを言う人が他にもいるかもしれない。私はそんな思いを抱く人を育てたいと思うと同時に生きるために必要な「チカラ」を分け与えたいと思う。それは特別な何かではなく、生活の中にある自然の法則である。
◆生きることに不器用な私でもこのように・・・
時は遡り2004年、私は自分のサイトを作成して何かを始める一歩にしたかった。何をテーマにサイトを作るか迷ったが、自分が得意なものや、自分だけにしかできないようなユニークなものがいいと何かで読んだので、誰にでも関心がもてるような非常にユニークなサイトの案ができた・・・。
■生きることの意味。生きることの目的。
生きている私たちが単純に感じる疑問であり、誰も答えを出すことができない。例え答えが見付かったとしても、それが真実なのかは誰にも分からない。その答えを見つけるために作ったサイトなの・・・いやいや、そうではないのです。
私自身は答えなどどこにも存在しないと思っている。探せば探すほど遠のいていくその存在は求めることでは与えられないものなのだと感じた。「人はいつから・・・」「人はなぜ・・・」「人はどのようにして・・・」考えるほど説明することが出来ないのである。
でも考えるほどに人は違う答えを見つけられる。逆境にも耐え、自ら道を切り拓くことができる。ただし方法や順番を知っていたらの話である。私を含めほとんどの人は人生において何をして、何を学び、何を考えなければならないのかを知らない。
そこで私がサイトで伝えたいことは「人生について考え、人生について学ぶこと」となった。その基本的な土台となる考え方の過程「思考プロセス」を身に付けてもらうことから始めることにした。
◆思考プロセスの基本構造ベースを案内するガイドとなって・・・