私の人生は、人を不幸にする呪われたものだ。自分だけでなく、人の人生も狂わす強力な呪い。その呪いから解き放たれるにはどうすればいいのか。
その呪いは自分が作り出した幻覚。現実にはそんなことありえない。自分に全ての責任があるわけじゃないとわかっていても、現実に起こる事実はそんな非常識なことだらけである。もっと自分に自信を持とうと頑張ってはみるものの、世界は呪いに支配されているかのように、無情な不幸が荒れ狂う。
本当の敵は何なのか、戦う相手を探すことから始まるこの問題。本当に呪われた人生なのか。その呪いを解く方法はあるのか。呪いではない本当の理由がまだ隠されているのだろうか。
私が感じている呪いの真実を、確かめる時が来たようだ。起こりうる事実を見つめ、その中に隠された本当の意味を感じ取り、原因を追求し解決策を練る。大きな問題が解決すれば、その先には素晴らしい未来が待っている。
~思えば強さを求め、他より前へ他より上へと駆け続けていたが、強さの終着は思いのほかあっけなく、限界と限界の鍔迫り合いのようであった。~
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7つの基本的なステップで、自分の思い通りの人生は描ける。
●「成功するためには多くの失敗から学ぶ」極意その一
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■合理的・建設的
■知識・経験
■思考・行動
■対策と準備
■向上心を持つこと
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■強さの先にあるものとは、
「弱肉強食」地球上の暗黙のルールは、そんな言葉で語られるような、実力主義の世界であった。弱い者は生き残れず、強い者こそ生きていく価値がある。厳しい現実は、より強い者を求めそして称えた。
そこに感情を持つ人間が生まれる。豊かな心の表情を見せる人間は、強さだけでは語ることのできない魅力という価値を生み出した。弱き部分を互いに補うよう協力をしあい共存していった。
世界のルールは今変わろうとしている。共存という言葉が、人と人との壁をとりさり、違う存在・違う人種・違う性格を結び付けようとしている。強さの先にあるものは、悲しい現実であったが、やさしさの先にあるものは、幸せにする力に変わる。
強さはこれからも必要である。しかしその力にのみ頼った過去の常識を続けていると、人々は幸せを壊してしまいかねないリスクを負う。力を持つものは、それ相応の強さを持たなければならない。
[→]エターナル・オブジェクト
国境を越えているインターネットの仮想世界。越えられずにいる言葉や文化の違いは、いつになったら通じるのだろうか。しかし旅人はずっと昔から様々な壁を乗り越えて心を交わしてきた。人と人とのふれ合いは、心の温度を伝えてきた。
■よいことを全ての人へ
私たちが住んでいる国は、豊かだと感じたことはあるでしょうか。食べることへの心配や、ゆっくり休むこと・眠ることのできる場所の心配、病気になったときに助けてくれる医療の心配など、心の底からあるでしょうか。
当たり前になった充実した生活が、大切な何かを忘れさせているのは真実のような気がします。豊かなのはいいことなのに寂しささえ感じてしまうのはなぜなのでしょうか。知らない人は多いはずですが・・・
それよりも何も誰もが気にならないくらい一般化した充実した生活を、もっと多くの人に提供することはできないのでしょうか。一人でも多くがこんな生活を過ごせるように、そしてもっと素晴らしい生活を他の国からも取り入れれるように・・・
ただ過ごす毎日もいいのですが、人がもっといい世界を創れるように、何かできる毎日がいい。ほんの些細なことが人の役に立ち、いつまでも心に残るような何かを描き作り出していける何かになりたい。
◆偽善者と呼ばれても、心で何か伝えたいこと・・・
子供の頃知りたかったこと。大人になってわかったこと。いくつになっても理解できないこと。私たちは感じ、考え、思い出す生き物である。言葉で伝わるその思いも、目には見えないその心も教えていけたらいい。
■心と心で
子供の頃というのは、それほど相手に気を使わずに自然な態度で接することができるはずです。自分の気持ちに正直すぎて、相手への想いが表に出てしまうことも多いことでしょう。
感情が表に出すぎて仲のいい友達同士だと、たまにはケンかをしてみたり、維持の張り合いをしてしまったりと今考えるだけでも、素直で可愛くバカなことをしていたんだなって思います。
でも大人になるとそんなことを忘れ、変に気を使ってみたり、無理に違う自分を演じてみたりと素直さを失くしてしまい、大人の世界を作り上げてしまってはいませんか。
本当はもっと素直になりたい、もっと自分を出したい、そう思いながらもできない自分は、子供たちに対してどんな態度をとっているのでしょうか。心と心で話せない大人が、子供と会話をできるはずなんてない。
◆子供から学べ、そして教えていけ・・・
人は長く生きて百年、時代を知る者も時が経てば消えていく。必死になって築き上げた自分も、刹那の時間に消えてしまう。生きることに意味があったのか、終焉を向かえ思い返しても何も残るものはない。
■時間を越えて
人と言う物理的な存在は、時間と言う普遍的な理屈に、やがて終わりを告げられるように消えてしまう。どんなに素晴らしい時を過ごしても、テロメアが短くなれば、やがて死は訪れる。
あなたが生まれる前と、あなたが終焉を迎えた後で、何か変化や影響はあったのだろうか。もし存在が消えてしまった時に、何も残らなかったり、変化が訪れなかったら、あなたの一生は意味を持ったのだろうか。
いや、それだけではない。先人の一生が時代に与えてきた影響は、どんな人物だろうと意味があったと思いたい。それは残ったものを見れば疑う必要もないだろう。いま在る全てが、過去の遺産なんだから・・・
物はいづれ消える、では思いはどうだろうか。私は何かを残していきたい。それがこれから生まれる未来の者へ、為になる何かであって欲しいと願いながら、物ではなく心として残っていければと思う。
◆生きることより、残すこと・・・
人は生きたとして百年、木は長ければ千年、星の上に宿る命は儚く短い、今までいったい何億年という時が過ぎたのだろうか。それに比べれば、一日というのはなんて短く小さいものなのだろうか。
■残るもの消えるもの
人の一生など、あらゆる時間に比べれば、ほんの一瞬の出来事かもしれない。地球上で起こる地形の変化や、気象の乱れ、それらは数百年の間では、珍しいことかもしれない。しかし数千年ではどうだろう。
人類と呼ばれる存在の歴史は長いが、一人の人の人生はそれほど長いものではない。毎日特別な事が起ころうと、なんの不思議もなく、必然的ともいえる自然のことなのだ。
そんな中で歴史として残っていくものと、何もなかったように消えてしまうものがある。一日一日が短くても、残っていく大切なもの、重要なもの、素晴らしいものはある。
例えあなたがいなくなった数千年先でも、残るものは残るのである。そんなことを考えながら、百年くらいの命の儚さに空しさを感じてしまう。例え数千年生きたとしても、私にはまだ足りない気がしてならない
◆一日一日を悔いなく生きるために・・・
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■人生について考え、人生について学ぶこと
■あなたという存在・・・
■be・・・在り方を考える。
■生きている証・・・
■収入の流れ
■生きる能力・・・
■創造する世界
一流のスポーツ選手、世界的な有名人、巨万の富を持つ大金持ち、優れた能力を持つ人は、優れた才能を持つ天才だと言われてきた。でも私は否定したい。これからは才能よりも教育が大切になると・・・
■教育社会
クラスの中で、ずば抜けた成績を残したり、高い運動能力を持つ人を、天才と呼んだり才能があると言ったりしていた。学生時代は、それが生まれもった何かであり、変えることのできない何かであると思っていた。
社会に出て気付き始めたことは、その頃の天才はどこにもいなくて、仕事ができる人は別の何かを持っていると感じたことだ。それは生まれもったものではなく、変えることのできないものでもなかった。
人の運命を変えてしまうもの、それはもって生まれた才能でも、自分自身に宿った宿命でもない。人が時の中で経験する様々なこと、誰かに与えられる暖かなもの、そして厳しく辛い試練にこそある。
才能という限られた人への言葉ではなく、教育というもっと多くの人に与えられる力が、これからの時代は重要な気がする。それは誰にでも平等に与えることのできる素晴らしいものだから・・・
◆私たちは何者かさえ、まだよく知らない・・・
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●人生について考え、人生について学ぶこと
●あなたという存在・・・
●be・・・在り方を考える。
●生きている証・・・
●収入の流れ
●生きる能力・・・
●創造する世界
●在り方の3原則
●生き方の3原則
●発し方の3原則
●永遠の問い、答えなき問題。
● 誰の為に・・・何を・・・どうする。
私たちが見ている世界は、太陽の光によって明るさがあるからである。そしてその光は太陽から真っ直ぐ届くので、太陽に向いている地表に対して降り注ぐ。明るい時を昼間と言い、暗い時を夜と言う。
■人生の輝き、人生の闇
地球は自転をしている。それと同時に太陽の周りを公転している。その位置関係や、向きによって地球上の気温や天候などの環境は変化する。
人の運も周りの人との関係や、自分自身の状態によって上がったり下がったりする。晴天の青空のように全てが上手くいく時もあれば、強風吹き荒れる雷鳴と豪雨のような不運に見舞われることもある。
太陽の光のように大きく強い明るさを持つと、そこから生まれる影の大きさもまた巨大なものとなる。人の運も同じようなものなのだろうか。この上ない幸運が訪れたなら、信じられない不幸に出会うことになるのだろうか。
物事は逆である。大きな成功を掴んだ者の中には、大きな失敗や多大な不幸を重ねた人も少なくない。その逆境を乗り越えてこそ、真の明るさを太陽のような光を浴びることができるのである。
◆日陰の外には眩しい光が・・・
物事を詳しく調べようと思えば、過去の歴史を振り返るのが効率がいい。今までに誰かがやってきたことや、試したことを調べてみることで、自分がそれを経験するよりも多くのことを学べるからである。
■過去と未来
何か面白くないことが起こると、時間を遡って、あの時にこうしておけばよかったと後悔する人がいます。科学や工業が発達した現代でも、タイムマシンの開発には成功していませんから、過去を振り返って何かを変えることなんてできません。
それでも何度も同じ場面を思い出しては、こうしていたら今はもっとよかったはずだと、勝手な想像を膨らまします。過去へ戻ることなどもちろんできないし、未来がどうなるかはやっぱりわからないのです。
過去にこだわることは、無駄な議論の元になるだけでなく、未来の可能性もつぶしてしまいます。過去で失敗したことをいまも繰り返すような人は、少し後の未来でも同じことを口に出すでしょう。
過去にある可能性を求めるのではなく、過去から何かを学び、今にそれを活かすことで、未来の可能性を広げていくことが、自分にとって有益なことになると思います。過去は過ぎてしまった、しかしあなたには未来がある。
◆失敗から学ばなければ、また同じ言い訳を繰り返す・・・
あなたは今「しあわせ」ですか。私は今「しあわせ」です。例えそう言えたとしても、明日になったら幸せではなくなるかもしれない。いまそうであるか、いまそうでないかは難しい。だけど今を「しあわせ」と思うことはいくらでもできる。
■感じることが正しいのか・・・
普通の人は当たり前の生活を送れて、当たり前の欲求を満たしているのであれば、小さな幸せと感じることもできるだろうが、実際にはそう感じている人は少ない気がする。だからと言ってそれほど不幸でもないけれど幸せでもない。
確かに当たり前の生活を送れることは、ごく自然で嬉しさを感じることもないだろうが、交通事故に合う重い病気にかかるなど、自分の身に不幸が起こると、その時は少しだけ感じることもできるだろう。
人はなぜ今の幸せを感じることができないのだろうか。現状で満足のいっている部分だけでも認められないのだろうか。普段から幸せに触れているだけで、心は豊かになるんだと、なぜわからないのでしょうか。
きっとあなたは幸せです。でもそれを認められないでいる、それ以上を求めている。その結果はあなたが今感じている正しい感覚なのかもしれない。しかしそれによって実際よりも不幸と感じていることは悲しい。
◆幸せなんだと思いなさい・・・