知識は使ってこそ意味のあるもの。せっかく利用価値の十分にある知識や技術を持っていても「実行」しなければ何も生まれないし、何も残らない。「君はできるだけの力を持っているだろう。なら、できることをやれよ。」ムウ・ラ・フラガ(機動戦士ガンダムSEEDでの一シーン)
■実績という証拠
自分はできる・優れていると知識のアピールをする人と、逆にできるけど何もしないでいる人は、どちらも同じであり、何もできない人である。例え本当は優れた能力を持って、実行する力を持っていたとしても何がそれを証明するのだろうか。
何かができるという事実は、他人からはそれを真実と示す「証拠」が必要であり、裏付けのない事柄は信用に値しない模造である。できるという言葉と、実際にできるのかどうかを表す事実はまったく別のものと言える。
では何ができるという事実を示すのか。その証拠になるものとは何なのか。裏付けとはどういう意味なのでしょうか。それをもう一度考え直してみましょう。
証拠とは何らかの結果であり、結果というのはその事実を示す。結果が示す意味こそ全てを裏付ける理由なんです。それこそが誰も否定のできない真実となり、覆すことのできない理由となるのです。
◆全てを物語るその背景に・・・