人は目を二つもち両方で見える映像を一つのものとして立体的に認識します。物事を捉える時に用いられる言葉も同じ「視点」と呼ばれます。消費者の視点で、作者の視点で、他国の視点でなど・・・そうやって考えると立体的に感じることができます。
■立体的な考え方
あなたにはあなたの意見があります。私には私の意見があります。みんなにはみんなの意見があります。それぞれ異なることを言っていたり、関連性のない事柄のように感じても実は同じことを言っているというのはめずらしくありません。
それは自分という視点からは見えている物事や見え方が、相手には逆になったり反転したりと変化するからです。さらに視点というのは全体や対象外から見た第3者視点というのがあります。
人は自分が正しいと思いがちですよね。一方的に他人を責めたりすることもあります。なぜ相手の意見を聞いてからではダメなのですか。自分が間違っていないという理由を第3者に示せるのでしょうか。
説得力というのもこの三者の視点に関係していると思います。自分と相手と第3者の3つの視点で立体的に物事を分解し、距離や内容を確認しなければ隠れた事実や認識の違い、その他分かりえない事情を理解や納得するのは難しいのです。
◆立体的思考の力
人は話をしたり食べたり立ったり座ったりと様々な行動ができます。ロボットに同じようなことをさせるにはどうすればいいと思いますか。いろんな方法があると思いますが、人間と同じような動作を真似たプログラムがあればできそうですよね。
■思考プログラミング
ロボットは単純な動作でも複雑なプログラムが必要です。それは人間でも一緒かもしれません。幼い子供をよく観察してみてください。まだ動きが不安定で危なっかしい感じを受け取れませんか。
実は人間も同じように複雑なプログラムで動いているのかもしれない。ただそれを認識していないだけで脳の中では何が起きているか想像もできないでしょう。それは意識ではなく無意識の存在を感じさせるものです。
考えるという行動は意識的なものでしょうか。それとも無意識のものなのでしょうか。それがどのようなことを行って考えるという行動になっているのでしょうか。考えることと行動することは違うのでしょうか・・・
人間の制御は脳が行っています。考えること行動すること、それは全て脳が行う情報処理の結果だといえます。そのほとんどは無意識の領域で行われ意識はほんの少し決断したり思ったりするだけです。
そして脳が考えているという状態と思考とは別のことなのです。生命の維持や本能、欲求と思考したり想像したりするのは、違うということです。だから処理能力の飛躍的に上がったコンピュータでもいまだに考えて喋ることは出来ません。
◆インテリジェント・ノート
何度言っても分からない、何度教えても覚えない・・・そんな経験をお持ちの方もいるかと思います。今日は若い人に物事を教えるのは難しいと再度思い知った日でした。表では「分かりましたとか」「はい」と納得しているそぶりを見せるが・・・たぶんわかっていないだろう。
■教育の欠如した社会
学校では国語や数学、理科、社会、など勉強を教えます。それは今でも変わらないだろうと勝手な推測だが思うことがある。実際に今の教育を受けたわけでもなく全ての若者を知っているわけではないが、生きるために必要な「チカラ」の欠如が目に見えるのだ。
生きていくことは楽しいこともたくさんあるが、つらいことや苦しいこともある。そのことに耐えられるのか、この先どうやっていくのか、ちょっと心配してしまったのである。
なぜそんなことを思うのでしょうか。他人の人生にとやかく口をだすこともないとおっしゃる方もおられようが、私は心配をしてしまう。こんな若者が増え続け日本の中心となる世代になったときどうなりますか。そこまで広げて考えたでしょうか。
同じことを言う人が他にもいるかもしれない。私はそんな思いを抱く人を育てたいと思うと同時に生きるために必要な「チカラ」を分け与えたいと思う。それは特別な何かではなく、生活の中にある自然の法則である。
◆生きることに不器用な私でもこのように・・・
この世に生まれ一生懸命生きてきたあなた、たくさんの思い出と記憶、そして様々な縁があったと思います。家族、親戚、友人、恋人、学校の先生、同級生、先輩後輩、会社の同僚、上司部下、多くの人と出会い多くの人と別れてきたこの先それは変わらないだろう。
■存在の定義
あなたが生きてきた日々は存在し今のあなたがいる。あなたの未来は存在し、それに向かって進んでいる。では今のあなたは存在を証明できるのか。あなたがそこにいて、そこに在るというのはどうすれば分かる。
過去があるから今があり、未来があるから時間は進む。この事も深く追求すれば曖昧になってしまうが、今現在の存在を説明するにはどうすればいいのか考えたことがあるだろうか。それは意外に難しいものである。
他人の存在は知っていても自分の存在は知らないものである。自分が誰かを証明するのに何が必要になるのか、名前か生年月日か、血液型、星座、出身地、免許証、成績、所有物・・・何があんたの存在を示し証明してくれるのか。
その答えこそ人生において重要なあなたの「存在理由」です。それさえかわればあなたが誰かを証明することができ、生き生きとした生活を送ることが出来ます。ある人がこんなことを言いました「私は科学者であり、母であり、そして一人の女なの」この言葉の意味を理解できましたか。
◆存在価値とは
地球上は大気で満たされそれが媒体となり熱や振動(音)が伝わります。熱や振動をエネルギーとして捉えた時それを伝えるには媒体が必要になります。車もタイヤが路面に力を伝えなければエンジンのパワーは無駄になります。すべての物事には伝える媒体が必要ということです。
■思考媒体
人が夢を叶えるとき、目標を達成するときにはそれに伴った行動が必要です。スポーツでは練習が必要ですし、学力は予習や復習が効果的です。では人生では何をすればいいのでしょうか。
人生で何をすべきかなど考えたことのある人はどれくらいいるでしょうか。生きるために何をすべきかと思いながら生活しているでしょうか。仕事をして遊んで、また仕事をする、このような生活の中でこんな疑問は生まれるでしょうか。
人生に悩みを持つ人は幸運です。ただ過ぎていく毎日をなんとなく生きていくより、疑問を持ち「考える」ならもっと素晴らしい人生になります。人は考えることで壁の向こうにある異世界に行けます。人生では考えることこそ必要なのです。
◆脳の使い方
今日はどんな日でしたか。いい日悪い日そのどちらでもない日、一日一日は何かしら違う一面を持っていますよね。懐かしい人との再会、新しい人との出会い。それは決まっていたことだと思いますか。それとも・・・
■静的な未来像
運命という言葉を信じていますか。それはどんな意味を持っているのでしょうか。あなたは生まれたときから何をするか、どういう人生を送るのか決められて生まれてくる。その生まれることさえすでに決まっていたというのが運命でしょうか。
実は私はこの意見に否定もしませんが、賛成もしません。否定をしないとはつまりこの運命を認めるということです。未来とは少なからず決まっていて予測も可能だということ。だから占いも当たるのです。
外れる占いもある。そうです、占いによって一から十まで何でも分かるわけではない。だからといって占いも運命も信じないというのはどうでしょうか。外れない占いはないというのは外れないミサイルはないと言うのと私は同じ感覚です。
ミサイルだって標的が動かなくても外れるんです。それが動くとしたらどうでしょうか。未来の予測なんて簡単なことではありません。さて私は何が言いたいのでしょうか・・・それは運命は動的なものだということ。常に位置を変え方向を変え彷徨っているのです。
◆動的な未来像
人は家の中で愛され守られていても社会にでたら荒波に揉まれます。それは自分のことを支えてきた親や兄弟との別れかもしれませんし、答えのない問題に孤独に取り組むことかもしれません。成人として経済的にも精神的にも自立しなければならないのです。
■未熟な存在
学生を卒業し社会に出る。家を離れ一人暮らしをする。季節の変わり目はそのようなことが多く起こる時期でもあります。大海に出る小船のように未熟な存在の彼らは時には大きな波に飲み込まれ、時には潮に流されてしまいます。
それを経験しているうちに社会とは何か人生とは何かを学ぶのだと思います。その前に船が沈むことがなければの話ですがね・・・。船が転覆した時にひたすら助けを待つのか、必死に泳いで前に進むのかそれをみている人間は多い。
未熟なのは十分承知なのだ。誰しも始めは何も分からない小さな小船。そのうち大きく成長し、荒波でも十分に耐える力が備わります。それが分からないからなのか諦めてしまう人間はたくさんいる。
出来ないことをただ諦めてしまうのは簡単だが、できることでも追い続けるのは難しい。でも前に向かって頑張っている姿勢があれば次第に道は開け、成人として立派に自立することができる。そうやって人々は生きてきたんだ・・・
◆船はそれでも前に進む
海の上で船は周りが水平線だけの時があります。それは人生についてあまりしらない未熟さに似ています。目印もなくどこへ行くかもわからない船は時折見る「まぼろし」を追いかけます。そしていつの間にか陽が沈み始めるのです・・・
■不安の闇の中へ
方向が定まらない船はあっちに行ったり、こっちに行ったりフラフラと船旅を続けますが港にたどり着いたり、何かを達成したりということはあまりないようです。
しだいに陽が落ち辺りが暗くなると「不安と恐怖」が船を襲います。それは何も見えない海の真ん中でどこから来るか分からない災難に備えるようなものです。それは今日訪れることはないかもしれませんが、明日来ないともいいきれません。
人はその日に来る全てのことに注意を払っていても明日のことや過去のことはあまり気にしないことが多いです。健康を害すると分かっていても食生活は変わらないことや睡眠不足でも夜ふかしをしますよね。
それだけではなく人生の目的や目標といったものも持たずに過ごしたり、過去の失敗から学ぶことなく過ちを繰り返したりと、まるで闇の中を彷徨う船のようではありませんか。
「方向の定まらない船」はまた闇に迷い込む船になるのです。そうならない前にも「いま」という時から何かを始めることが大切なのです。なにをすればいいかわからないのは当然、ですから船をとりあえず進めてみましょう。
◆意思決定を下す
学生のあなた、または自分のやりたいことも見付からない若者、そして自分の人生にいつも疑問を持ったまま何もしないで過ごしてきた人々へ伝えたい。自分の行き先と先の見えない未来へどう進むべきか、またどう進んでいけばいいのか。
■全方(八方ふさがり)
あなたは自分が生きていることについて考えたことがあるでしょうか。自分が生きていることに感謝しているでしょうか。自分が生まれたことに喜びを感じることができているでしょうか。あなたは人生に束縛を感じていませんか。
右に行っても嫌なこと、左に行っても嫌なことではどこへ行けばいいのか。あれもダメ、これもダメじゃあ何がよくて何がいけないの。自分は何をしてもダメでどこへ行っても上手くいかないそれはなぜなのでしょうか。
手詰まりになることはよくあります。それは今のあなたが悪いのではないかもしれません。物事は次第に動くものです。現状だけがあなたの全てではないことを知りましょう。そして今からでも遅くないので自分の行き先について考えてみましょう。
過去を振り返れば原因があるし、未来を見つめれば可能性があります。あなたは人生についてまだまだ何も知らないし何も分かっていないはずです。それらを知る努力をして自分の視野をもっと広げなければ何も見えてこないのです。
手詰まりになる前にそのことを自覚して行動に移さなければ物事は自然と動き、あなたの気付かないところから思ってもみない不幸も訪れるかもしれません。そうなっては逃れることは難しいのです。ことが起こる前に手を打たなければならないのです。
そのためにできることを「いま」から始めなければならないと私は何度でも訴えたい。何をすればいいかわからないなら「何をすればいいのか」から学びなさい。自分には何ができる。自分は何が必要なのか。自分自身と多くの時間を使って対話を繰り返すことだ。
どうして自分自身と向き合う事が必要なのでしょうか。考えることがこれほどまでに重要になるのでしょうか。その答えは成功者のモノの考え方にあるからです。
◆発想の転換で人生が変わる
嫌なことが起こったとき、自分に不利な状況になったとき、疲れが溜まっているとき人は怒りという感情を表に出します。感じたことをただ思いつくままに判断し、自分の欲求で行動してしまうことはよくあります。いつもそんなことでは社会で上手くやっていけるでしょうか・・・。そうです一時的な感情で行動していては社会では上手くいかないことの方が多いのです。
■感情と理性
感情の他に人は「理性」を持っています。嫌なことが起きても我慢したり、場の空気を読んだり、前向きに考えてみたりと自分自身をコントロールすることのできる能力が備わっています。
感情的になって突っ走ってしまうよりも、理性を上手く利用して程々に進める方が社会では都合がいいようです。人の集団ではコミュニケーションが大切になってきますし、感情的になってぶつかっているだけでは何もかわらないこともあります。
理性だけで動く人間が優れているのか。感情を持たない人間の方が社会では上手くやっていけるのかといった疑問も思いつくでしょうが、周りを見て完全に理性だけで行動し感情を見せない人が、あなたは魅力的に見えるでしょうか。
そうですね「感情も」大切なんですよね。人が元々持っている純粋な心は感情のほうだと思います。喜び、怒り、哀しみ、楽しむ、それらを失ってしまったら何が残るでしょうか。魂のない抜け殻になってしまうでしょう。
現代社会を生きる上で「感情も」「理性も」必要だということです。あなたは自分の中にある純粋な感情または、自分自身をしっかりコントロールできる理性を失ってはいないでしょうか。
◆あなたの心を自由にする