私たちは過去から実に様々で有益な情報を受け継ぐ。中には人生において成功するにはどうすればいいのかを、0から10まで全て書かれている書物などもある。そしてその書物を読むことも理解することも可能だ。だが一つだけそれ以上に重要なことがある・・・
■実践的な行動ノウハウ
インターネットの普及により情報は自宅にいながら世界中から集めることができる。情報の検索は日常でも行われていることだし、情報を処理する力も義務教育を適当に受けていれば持っているはずである。
何々をするためには、何が必要でどうすればいいのかを簡単に知ることができるから、初めはインターネットの使い方がわからなくても、調べたり触っているうちにどんどん知識は身につき、自分自身で解決できるようになる。
でも大きな問題となるのが、その知識は本当に活かされているのか。知っている、わかっている、理解していると言いながら、変わったのだろうか。悩みや課題に対して違う結果や答えを出すことができたのだろうか。
頭では理解していても何も変わらず、何もできず、何の進歩もないこと。実際に何か行動を起こして失敗することも、失敗を繰り返しながらも得ることもなく、挑戦しないで終わってしまうこと。誰もがそれはダメだと知っている。その後に残る後悔も・・・
◆失敗してもいいと感じながらも前に進める一歩・・・
基準を持つことの大切さは今以上に重要になる。相対的な速度差をつくりだすためには、標準的な速さが何かを決めなければならない。その基準を定義し、構築することであらゆる物事の方向性を明確にできる。
■基礎的な能力開発
ほとんどの場合、仕事に就くには試験なり面接なりを受ける。学校に入学する時も、高校や大学では一般的だろう。それにパスするために一生懸命に努力を重ねる。塾に行ったり家庭教師を雇う。
試験では能力を試される。その学校や職場において最低限のレベルに達しているか、基準を満たしているのか、その測定の為に試験や面接が行われる。パスした後に置かれる状況に適応できるかを事前に確かめるのだ。
基本的な能力がどの程度あるのかを確かめることができれば、必要に応じて一定の能力を身に付けさせるにも効率よく進められますよね。基準に合わせて足りないものを補ったり、その状態を保っていたりと調整がききます。
重要なのはその基準をどうやってつくるのかです。企業にとってプラスになる人物像や、スムーズに授業が進む学生の知識レベル、似たようなもので売上の向上する値段設定などがあります。ようは選び抜かれた基準があればいいのです。
◆模範となる行動・言動・・・
性能を上げたり価値を高めたりする時に効果的なのが、スピードアップつまり加速することです。自動車だって速い方がいいですし、仕事も遅いよりは早いほうがいいですよね。速さは総合的にレベルを上げる。
■相対的な速度差
他者と比べてどうであるか、というのは人々の関心の種です。隣の家よりいい暮らしをしたい、どんな車に乗りどんな食事をして、どんな休日を過ごすのか。それに対しての自分たちがどうであり、どう思われるかを常に意識する。
それがいいか悪いかはこの次に検討してみよう。今回は相対的と呼ばれる、何かと比べた時にどうなんだということです。その中でも速度を中心に話を進めていきたいと思います。
オリンピックなどの競技でもタイムを基準にしたものがありますよね。ファーストフードもその名前の通り早い食べ物ですから、素早さは武器になりますよね。この早さはどういった意味があるのでしょうか。
競技中のタイムというのはどれだけ早くできるかということです。それともう一つの意味があります。それは時間内にどれだけ数をこなせるかに比例します。20秒に1回なら1分間に3回ですよね。もし倍の速さになったら10秒に1回で1分間に6回ということになる。
◆処理能力と収入の関係・・・
3原則は異なる軸の立体的な3次元だけでなく、インプット・プロセス・アウトプットという3つの流れを示す場合もある。車のエンジンも吸気と圧縮・爆発、そして排気という3つがある。何かを得て変化を起こし、何かを与える。それが3原則。
■カルチャーのIPO
自分がどう在り、どう生きるのかに答えを見つけることができたなら、ぜひ何かを与える立場になってほしい。受け取る立場、それを噛み締める立場を経験したのなら、次は必然的に与える立場になるだろう。
現在に残る全ての物事は、過去の誰かによって、過去の何かによって残されたものである。そしてあなたを含めた私たちは、その恩恵を受けている。私たちは何かに支えられて生かされているのである。
何かを受け取った私たちは、これから何をしなければならないのか。受け取ったのなら与えるとはどういうことなのか。私たちが知らないうちに与えている貴重な財産とは何なのだろうか。
私たちは物理的な財産だけでなく精神的な財産である「文化」をもらう。それは年末年始の行事だったりお祭りごとだったりと、昔から伝わってきた心の財産である。そしてあなたが受け取った素晴らしいことを残していくことこそ、アウトプットとなるのです。
◆語り継ぐ文化形成・・・
3原則は3つの異なる軸から成り立つ立体的なものです。それぞれが独立した軸を持ちながらも密接に関係しています。縦、横、高さはその一例といってもいいでしょう。生き方について3つの軸を考えて見ましょう。
■ライフのIPO
生き方とは自分の在り方を受けてつくられる。在り方がインプットなら、生き方はプロセスといえる。どんな生き方をして、どんな生活を望み、どんな計画を立てるのか。それらを考えながらライフスタイルを形成していく。
生き方には様々な変化を加えられる。自分がどういう人間かによって、置かれた状況によって、積極的に事を起こすことによって、何をするかは自由に自分自身で決めることができるのである。
だけど、人はあまりコントロールしようとはしない。運命だといって受け入れたり、無理だといって諦めたり、自由といいながら縛られていたりと、何かに振り回されて生きている。
人はもっと自由に生きられる。他人に合わせることのないライフスタイル。願いを叶えるライフデザイン。望む道を進むライフプラン。生き方を見つければ、もっと自分らしく生きれると思う。
◆自分らしさと今の自分・・・
3原則は3つの異なる軸から成り立つ立体的なものです。それぞれが独立した軸を持ちながらも密接に関係しています。X,Y,Zはその一例といってもいいでしょう。人生の在り方について3つの軸を考えて見ましょう。
■自分のIPO
在り方とは自分がどういう人間かを知ることから始まる。その意味で自分とは何かを受け入れるインプットだといえる。日常の自分、誰かと一緒の時の自分、会社・学校での自分、一人でいるときの自分、それぞれどんな自分なのでしょうか。
受け入れることも更に3つに分けて考えることができる。自分とは何かを知る「インプット」、自分らしくを考える「プロセス」、自分という在り方を示す「アウトプット」の3つである。こうやって一段階下で3つに分けることで更に細かく自分を知ることができる。
人間は自分のことさえもまだあまり知らない存在なんでしょ。自分が何で、どうあって、どんな意味があるのか・・・考え・学び・感じる生き物なのに、その存在の意義は少しも理解できていないんじゃないかな・・・
自分のことをもっと知り、考え、示していけるように、自分と向き合うことは大切です。そのための時間と、定期的に自分を客観視できる習慣を、ぜひ自分のライフスタイルに取り入れてみてはいかがでしょうか。
◆向き合う時間、知る時間・・・
前記事3回の内容をまとめてみる。単純な方式を標準化するというのはつまり「ベース化」のこと。多様な方法を組み合わせるというのは「マテリアル化」のこと。そして全てを使って行動を起こすというのは「ストリーム化」のことである。
■3つの概念
基本的な概念の上に、成り立つ素材群が、様々な一貫性のある流れを持っているなどと、普通の人はこういう線の引き方・考え方をしない。同じ事を複数の意味として捉えない。異なる視点で見ることができないのである。
人間の基本的な行動は「手」によって実現される。食事や物の取り扱い、車の運転からパソコンの操作まで手を使う。そして手は「ツール(道具)」を使う。間接的にその行動を操作する。ツールは無限にある。しかしその操作は手の動きによってしか行われない。
ツールを使用したとき何が起こるでしょうか。いや何をしようとしていたのでしょうか。その意図はなんであり、その行動には何の意味があり、その結果はどのようなものでなければならないのか。
行動の前提には、目的や動機などの概念的な意図があり、それを実現させる為に様々な方法を用いた行動を起こす。その結果を得ることが、全てに共通する行動の原則であり、人間の行動のメカニズムといえるのかもしれない。
◆三位一体の思考習慣・・・
持っているモノ全てを使って、実際に行動を起こす為の基本。基礎基本を応用した実践的で、プロセス自体に筋道があり、計画・実行が伴うもの。理屈ではなく現実を知る為のアプリケーション・スレッド・プロジェクト(application・thread・project)です。
■求められる働き
高い能力を持っている人材はたくさんいる。「腐るほど」と用いることもあるが、実際に人材は腐っているのである。有能な人間、輝かしい理論、それに対して重大な問題を抱える社会、上手く組み合わされば、これほどみんなの為に役に立つこともないだろう。
頭の切れる若者が集まれば、「もっとこうした方がいい。」とか「あんなことではダメだ。」とか、頭の中では何をすればもっと世の中がよくなるのかをよくわかっている。問題点はみんながよくわかっているのである。
それでも社会がいっこうによい方向へ向かないのはなぜだろう。若者だけでなく有能な人材は腐るほどいるというのに何も起こらないのだろう。みんなわかっていてなぜ何もできないのだろうか・・・
実践は難しいものである。頭の中で考えるよりもずっと複雑で難しい。だから実践的でなければならないし、計画性も必要になるのである。部屋の中で、一人で考えるだけでは何も始まらないのである。
◆外へ出て一歩でも歩いてみよう・・・その世界が見えるように
日本語では多様な方法を組み合わせる。本来もっている力を使いできることをしようという考えや、足りないものを限られたものの中で補完してやること、今までの中から組み合わせによって新しい価値を生み出すことがマルチ・プロセス・アセンブリー(multi・process・assembly)です。
■求められる人材
仕事においてやることはある程度決まっていますが、それぞれの業界、それぞれの会社、それぞれの部門、それぞれの社員によってやり方には違いがありますよね。基本的には販売・納品、請求、支払い、領収というような流れですが、違いがあるのはなぜでしょうか。
初期の頃にプロセスが標準として決まってしまうのが、大きな原因の気がします。それが代々正しい手続きとして、正しい方法として先輩から後輩へ、受け継がれていくからではないでしょうか。
それは本当に基本を押さえたシンプルな方法なのでしょうか。ムダやムラがないでしょうか。本当は変えたいと思っていても習慣的に風習的に変える事ができないのではないですか。
基礎は固めるといいますが、応用も固めてはいませんか。応用は柔軟に広げるものであり、頑固に守り通すものではありません。意図や意味を理解できているのなら、その方法は可能な限り変えていったほうがいいのです。その人、その会社、その業界によってね。
◆コンマ1秒を削る改善の努力・・・
日本語で単純な方式を標準にする。どんな学習や行動においても極自然に行われていることがこのシンプル・メソッド・スタンダード(simple・method・standard)です。簡単に言うと手抜きです。
■求められる頭脳
世の中には複雑で難しいことがたくさんあります。学校の試験や資格試験、人間関係から技術開発まで誰にでも理解できることは少ないように思えます。ある特定の分野に詳しい人を専門家と呼ぶように、難しいほど高度な能力を要求されます。
難しいのは色々な要素が組み合わさっているからで、一つ一つが理解できるならどんなに組み合わさっていても解けるが、一つでも理解できないと全体が複雑になる。日本語ならいくらでも話せるが、外国語は一つ混ざると混乱の種になる。
では、どんなことでも理解できるくらいシンプルにすれば理解はしやすくなるのではないか。単純にした方法や方式を用いれば誰にでも簡単になるのではないか。それを標準的に用いればどんな人にもどんな時でも容易に扱えるのではないか。
難しいことを難しく考えるからいけない。より簡単により単純に、そして誰にでも容易にそしてわかりやすくすることこそ必要なプロセスです。私たちは複雑になりすぎてしまったのかもしれない。だからこそシンプルに生きてみよう。
◆共通した原則があるから・・・