私たちは、何かをしようしようと思いながら、結局のところ何もできずにいる。それは単に、思いだけで終わり、行動が伴っていないからに過ぎない。決断と実行が、できるかできないかの明らかな差なのだ。
■とにかくやれ
決断したら何があってもとにかくやること。このことを信念として、決断し行動すれば、一歩も前に進めない今よりも、確実に一歩だけは前に進むことができる。
問題なのは決断と行動のバランスや割合である。決めてばかりで実行に移さない100:0や、考えずに行動する0:100では、結局何もできないか、結局失敗だけで何も得るものがない。
最適な割合は経験で学ぶしかないが、両極端でなければそれほど悪い方向へはいかないだろう。考え行動し、行動し考える。繰り返しの中で人は学び、何かを得ていく。
完璧主義になり何もできずにいることが、最も避けたい最悪の状況といえる。失敗を恐れる必要はない。前を向いて進めばいい、さすれば道は開かれん。例えそれが望まぬ結果だとしても、まだ終わりではないのだから・・・
◆成功は失敗の繰り返しでしかない・・・
人間に与えられた時間は限られている。その時間をどう使うかが、人生最大の楽しみである。暇を持て余したり、無駄に過ごすには勿体ないのである。思いっきり楽しんでしまえばいい。
■タイムマネジメント
与えられた時間を有効に活用することは、仕事においても遊びにおいても重要なことである。より多くの楽しみを味わえるように、より多くの価値を生み出せるように、努力することは面白い。
始まりと終わりの時間は、同じ尺度で与えられる。その間に何をどのようにやるかは、人それぞれである。やることややり方が違えば、当然の如く結果は違うものが生まれるし、その差は決して小さなものではない。
私たちはもっと早く気付くべきだった。与えられた時間が長いようで、実はもの凄く短いことを、時間の流れが人によって違うことを、小さな違いが大きな差にかわることを気付くべきだった。
時間管理の方法を活用することは、限られた時間内で最高のそして最良の結果を残すことができる。私たちが生きる複雑化した社会の中では、最低限必要な能力・技術のひとつである。
◆与えられる以上に価値あるもの・・・
自分自身と、もう一人の自分と、二人を見守ってくれるもう一人の自分。自我に目覚めれば、もう一人の自分に気付く。自分の中で出会う、自分とは違う存在に戸惑いながらも、違う自分をまた見つける。
■人形劇のように
一人で解決できる悩みは限られており、誰でも他人に相談する方が楽になれるし、効率よく解決することができる。絶対的な知識や経験の量も然ることながら、視点の違いも重要なポイントです。
一人称視点の場合は、物理的に見ても死角が多い。物の裏側はわからないし、障害物によって対象物は見えにくくなる。思考においても単調子になりやすいし、視野が狭くなり周りが見えなくなる。
二人称で考えれば、相手の気持ちや動機、物事の裏に隠された意図などを読み取ることができ、理解が深まるほか問題点も事前につかみやすくなる。しかしそれでも客観性は失われやすい。
その二人の自分が行う会話を、冷静に分析し判断する第三者が必要になるのである。それは自分以外の誰かでもよいのだが、的確な思考を導くには、第三者は自分自身で演じて欲しい。
◆立体的なシミュレーション
遠近感と距離、ターゲットとロックオン、多勢に無勢、戦わなければならぬ敵がいるなら絶対的な優位性を確保したい。勝てる要素は最大限に、負ける要素は最小限に、できることなら全て計画的に行いたいものだ。
■立体的な思考
立体を形成するには、ある軸を縦とした場合に、それと垂直に交わる横の軸と、それぞれと垂直に交わる高さまたは奥行きの軸が必要である。
難解な問題に直面した時に、縦の軸だけで考えていると、すぐに行き詰ってしまうし、横軸を交えても、回避できない問題というのは多く存在するものだ。そこに高さを持ってくると選択肢はグッと広がる。
現実問題は、そう簡単にはいきませんが、いかにして高さの思考を見つけ出すかが、重要な鍵を握る。やるか、やらないかというような単純な2択で、決断をしようとすることが一番危険なのである。
いかにしてやるか、誰にそれをやらせるか、いつやるか。それこそ距離感や方向性、数量や分布を細かく分析して、戦略を練るようにじっくりと考えなければならない。決断こそが物事の80%を決めると言われている。
◆思考の幅と大きさ・・・
蜘蛛の巣のように張り巡らされた神経、記憶・想像・制御を一括して行える万能なシステム。人の脳は高性能な情報処理装置である。そのポテンシャルを最大限に活かすためには、その使い方をマスターしなければならない。
■ツリー構造
人の思考は放射状に広がっているという。一つの点からあらゆる方向へ無限に広がっていく情報のネットワークである。それは蜘蛛の巣のように平面ではなく、立体的に広がる構造物である。
それに比べ私たちの日常は、平面的にそして直線的に作られることが多いのです。例えば教科書やノートは、左上から右下に向かって直線的に書きますよね。それも平面の紙に平面的な文字や絵を使って行う。
人の脳は、立体的に放射状に理解するのに、人の意識で平面的にそして直線的にするのは、無理があるのです。理解度は落ちるし、記憶することも思い出すのも難しくしている。
解決策は意外にも簡単だ。人の脳や思考と同じように立体的にそして放射状に行えばいいのである。つまり一本の木のように、大きな幹をつくり、枝を伸ばして、一つ一つ葉をつけるという作業が、最も理解しやすく、簡単である。
◆土に埋まった根っこの理解から・・・
人の心を動かす音楽、喜びや悲しみ、複雑な思いでさえも相手に伝えることのできる優れた手段。心の中を知るのは困難だが、楽曲に込められた思いの内容は、少なからず感じることができる。
■ユビキタス・ミュージックライフ
音楽は、ラジオやテレビなどのメディアを通じて、CD・MDプレーヤーなどの音楽再生機器で、プロによる生のライブなど、生活に溶け込んでいるように思える。
私生活では、当たり前のように流れている音楽も、その他の環境ではない場合もまだある。例えば職場や屋外公共の場など、誰かとの共有している空間である。
戦場のような忙しい職場では、音楽を聴く余裕などないかもしれない。でも仕事の合間にでもリラックスできる音楽を聴くことは、その後の仕事のやる気にも関係してくる。
積極的な音楽の導入は、混沌とした今の社会には必要なのかもしれない。学校の授業中でも緊張感を生むような、リズムを作れる様なBGMがあってはいいのではないか。それを検討する意識だけでも必要だ。
◆人生のブレイクタイム・・・
エンジンが奏でる旋律のサウンド、喜びと感動を与える音楽、全てのエンターテイメントを結び付けることができるPC。異なる物や文化、歴史を融合させることで、単純な和ではなく、新しい想像が生まれる。
■サウンド・ドライブ・システム
車、音楽、PCは私の生活に必要なものだが、その三つを組み合わせて、「もっと生活に音楽を、もっと身近に音楽を」を元に考えたのが、ミュージックドライブという一つのコンセプトである。
カーオーディオなどによって車の中で音楽を聴く環境は、比較的整っていると言える。でも電車やバスなど公共交通機関での移動では、ポータブルオーディオの利用などが目立つのも、音楽そのものが足りないからである。
全ての場所に音楽が溢れる街づくりと共に、音の可能性をもっと広げていける環境づくりが求められる。モバイルPCなどを活用したユビキタス・ネットワークによる、あらゆる音楽への容易なアクセスなどは、大きな可能性を持っている。
それだけではない。車側の可能性を更に追求することで、違う世界も見えてくる。車そのものが音を出す楽器になったり、音楽によって車が走るシステムなど、独創的に考えれば面白いものはたくさんある。
◆車が奏でる音の情景・・・・
与えることで満たされる世界なら、誰も求めたりはしないだろう。与えるだけでは満たされない世界だからこそ求め続けるのだ。逆に言えば、求める者がいるからこそ与える者も現れる。
■付加価値
経済とはお金の流通であり、物の売買も含まれる。人と人は、価値ある物と、それと同等の価値を交換する。つまりお金を払って、それに見合うだけの価値を購入するのである。
価値を生み出すのは、ちょっとしたヒラメキによるアイディアだったり、他人が好まない労働の肩代わりだったりするわけですが、全ての行動が同じだけの価値を生むわけではありません。
求められる物は大きな価値を持ち、求められない物は価値を持たない。価値は自分自身で作り出す物だけではなく、相手の要求も大きな指標となる。作り出すことが全てではない、満たすことが必要になるのだ。
社会では商品などの物だけではなく、自分自身も売り出さなければならない。価値を高める為の磨きも必要だが、誰かを満たす為に与えることも忘れてはいけない。求められることのない人なら、誰も買ってはくれないのだから・・・
◆価値あるものを生み出す為には・・・
無意識の叫び、過去の遺産、遺伝子の記憶。脳は水面下に隠れた巨大なコンピューターによって支配されている。人の意識は水上に存在している氷山の一角に過ぎないのである。
■多種多様の組み合わせ
一見難しそうで自力では解けそうにない数学の高度な公式も、時間さえあれば単純な方法で解くことができる。条件は付くもののコンピューターもそれに似たような構造を持っているのである。
それは、総当たり攻撃(Brute force attack:ブルートフォースアタック)と呼ばれる暗号解読方法の一つである。全ての組み合わせを単純に繰り返して、結果的に答えを導き出してしまおうという方法だ。
パソコンなどではパスワードをクラックするのに用いられるが、アイディアを出す場合にも有効な手段である。可能な限り思いついたものを組み合わせて、力任せにアイディアを絞り出すのである。
そこで一つ注意がある。組み合わせるにもそれなりの素材が必要となる。いくら優れた能力があっても、元となる知識がなければ組み合わせることすらできないのである。閃きもまた何かの積み重ねであるのかもしれない。
◆無意識上で組み合わされる知識の素材たち・・・
記憶のカケラ、時空の断片、思考の足跡。何かを経験することで、人は何かを学びそして何かを覚える。それは辛く困難な道であるほど、耐え難い逆境であるほど己の力となり、大きな自信となる。
■ただ知るだけでも
人生は上手くいっているときは下り坂で、大変な時は上り坂のようなもの。前に進むには下りの方が楽だが、下りきった時は上るしかない。
物事の始めは上り坂の連続で、覚えることは山のようにあるが、実際に進む距離は苦労の割りに少ないもの。しかしこのときの経験は、今後の進路にとって大きな力となる。
辛いことが続いたり、苦労ばかりだと嘆いていてはいけない。確かにその時は辛いが、上れば上るほど急加速で人生を駆け抜けることが可能なのである。辛い時を耐え抜き、成し遂げることは大きな意味を持つ。
学校での勉強も必要な時が来るだろう。今は意味を見い出せなくとも、ただ知っておくだけでも損はない気がしませんか。あなたが今現在学ぼうとしていることも同じかもしれませんよ。
◆これから訪れる運命への備えは、今からでもできる・・・