個人の存在価値を示すのには、他人より優れていることを証明するのがわかりやすい。それにはオールマイティな何でも屋さんになるのではなく、誰にも負けない自分だけの分野を持つことが一番いい。
■負けない方法論
まず専門性に特化することが第一である。あれもこれもとやっていては、その力が二つにも三つにも分かれる。山脈を作るのもいいが、一番目立つのは山の頂上である。一つのことに絞るというのは基本的な事項だ。
その他にも重要な要素は、加速度と経験量である。同じ場所にたどり着くには、できるだけ早くという気持ちもありますが、それよりも確実に近づいているという進歩・成長です。そのためには十分な経験も必要ですし、経験が競争力にもなります。
三つがバランスよく調和することで確実にそして効果的に成果を上げることができる。自分にしかない特別なもの、それが確実に成長し、誰よりもそのことについて詳しい、というのは素晴らしい事でしょ。
そのために自分と向き合ったり、情報を集めたり、積極的に行動を起こすことは、経験を豊富にして成長の加速度を上げ専門性を高めることにつながるのだ。そんな能力開発はあなたの存在価値を高めてくれる。
◆自分にできること、自分にしかできないこと・・・
私たちはこの時代に生きている。生きている時間はこの宇宙や世界からは一瞬の出来事かもしれないが、生きていたという事実はいつまでも残すことができる。自分の存在が意味のあるものとしたいのなら今を生き、何かを残してみてはどうか・・・
■創作意欲
残すといえば形のあるものを前提として考えるかもしれない。創作と一言で言っても、特殊なものを制作したり、大きなものを建造することだけではない。形あるものを残す為に、お金を物に換えるというのも違います。
自分らしい生き方や、他人が真似をしたくなるようなアイデア、もう一つの創作活動とも言える精神的な創作です。誰もが持っている生活様式も時には、誰かが参考にする大切な情報になるのです。
自分らしい生き方とかアイデアを持っていなかったらどうすればいいのでしょうか。誰かのために何かを残すには、何が必要でどんな条件があるのでしょうか。何かを残すことが生きる意味になるのでしょうか。
重要なのは文化です。新しいものをゼロから造りだせと言っている訳ではない。残す為に変える必要はないのである。誰かから教わったものを、ただ伝えるだけでも十分なことである。だって過去の人は全てそうしてきたのでしょう・・・
◆形あるものはいつか・・・
先は長く感じるが、過ぎた時間は短いように思っているほど人生は長くない。だが思っているほど短くもない。100年近く生きるようになった人間は、その中で何を考え、何をするのか。答えの見付からないまま時だけが過ぎていた。
■選ぶこと。
人生で成功したいと思ってから色んなことを考えてきた。失敗しないにはどうしたらいいのか、成功するにはどうしたらいいのか。効率よく生きるには、無駄なく生きるにはどうしたらいいのか、そういうことを考えていた。
しばらくするとそういうものに共通する基本的な原則があることに気付いたのだが、それが私がブログやHPなどで言っているベース理論である。ベースは全ての土台となる家を建てるときの基礎と同じと思っていい。
基礎はある程度できたのだが、肝心の家がない。基礎は習得していくと基礎の中に基礎があり、その中に更に基礎が見付かる。それによって共通したことがだんだん明確に理解でき、効率も上がるのだが、上に載っているはずの家は見当たらないのだ。
つまり成功は理論の上に現実を載せなければ、形として現れない。その現実としての「何を」の部分が必要になるのである。その形を設計するのが人生設計というわけです。
◆ライフスタイルデザイン・・・
それは失業して数ヶ月たった時のことだった・・・私はこの先どう生きていくのかを迷い悩んでいた。不幸か幸いか自分と向き合う時間は十分すぎるほどあったのだ。そのおかげで成功するにはどうすればいいのか気付いたのである。
■失敗の中に隠された成功
私は普通の仕事をして普通の暮らしをして、普通に過ごすのが嫌だった。何か人より上手くいって、いい暮らしをしておもしろい人生にしたかったのだ。それはずっと昔から言葉や態度には表さなくても思っていたことなんだ。
お金持ちになりたい、偉くなりたい、幸せになりたい、会社の社長・・・人の上に立つ人・・・素敵な結婚相手・・・具体的には何も決めていなかったが、なんとなく誰でも思うような理想を持っていた。
だけど思っているだけで、何にもそのことに関しては考えていなかったのだ。どういう会社の社長・・・どんなことをして人の上にたつの・・・素敵な結婚相手とはどんな人物でどんな生活を送りたいの・・・。
全てが曖昧のまま過ごしてきた。ただ何となくで生きてきた。しかし自分自身と真剣に向き合い対話をすることで、色んなことを考えることができた。それがきっかけで成功について考える機会があったのだ。
◆その時、私は成功とは何かを知った・・・
あなたが信じているものは何だろうか。両親や兄弟、友人や恋人、教師やクラスメイト、自分自身はどうだろう。神様・・・それともお金・・・とりあえず固く信じているものを信念と呼ぶのだそうだ。あなたの信念はどこにある・・・。
■何よりも強い感情
私は信念という言葉を知らなかったが、その存在は名前のなかったその頃でも確実にあったのだろう。何かを固く信じる心、そうなるんだと最後まで諦めない姿勢、信念はとても強くそして誰にでもある。
やればできると信じて不可能を可能にしてきたエンジニアたちや、一番になる・記録を塗り替えると意気込んだアスリートたち、彼らはそうなると信じ続けてそれを現実にした。
信念とは何なのだろうか。なんでもそれができると思えば、本当に誰にでもできるようになるのでしょうか。不可能を可能にしてきた人の中にはどんな信念があったのでしょうか。それはできなかった人たちとどんな違いがあったのでしょうか。
信念は根拠のない自信のようなもの。失敗に理由をつけて正当化することもできれば、成功を信じて方法を探すこともできる。初めから諦めていることが、失敗する最も大きな原因である。
◆できない理由ではなく、できる理由を探せ・・・
知識は使ってこそ意味のあるもの。せっかく利用価値の十分にある知識や技術を持っていても「実行」しなければ何も生まれないし、何も残らない。「君はできるだけの力を持っているだろう。なら、できることをやれよ。」ムウ・ラ・フラガ(機動戦士ガンダムSEEDでの一シーン)
■実績という証拠
自分はできる・優れていると知識のアピールをする人と、逆にできるけど何もしないでいる人は、どちらも同じであり、何もできない人である。例え本当は優れた能力を持って、実行する力を持っていたとしても何がそれを証明するのだろうか。
何かができるという事実は、他人からはそれを真実と示す「証拠」が必要であり、裏付けのない事柄は信用に値しない模造である。できるという言葉と、実際にできるのかどうかを表す事実はまったく別のものと言える。
では何ができるという事実を示すのか。その証拠になるものとは何なのか。裏付けとはどういう意味なのでしょうか。それをもう一度考え直してみましょう。
証拠とは何らかの結果であり、結果というのはその事実を示す。結果が示す意味こそ全てを裏付ける理由なんです。それこそが誰も否定のできない真実となり、覆すことのできない理由となるのです。
◆全てを物語るその背景に・・・
いくら物知りでも、その知識が使えないと意味がない。ただ知っているだけでは何の役にも立たない。そこから何かが得られなければ持っている意味さえないのだ。もちろん何も知らないのはもっとどうにもならないが・・・
■思考の中心
人はある程度の経験を積めば、自分自身で判断ができるようになる、そう思いませんか。単なる知識(私は知材と呼んで区別する)は誰かに広める程度の使い道しかないが、経験を積みいくつかの知識が結び付くと、判断できるようになります。
それは人が持つ一番重要な力「思考」なんです。単なる知識が脳の情報処理によって、使えるようになるのは、情報を複雑に加工する「シミュレーション」や関連・意味づけを行う「ネットワーク」そして要らないものを排除する「フィルター」の機能があるからです。
なぜある程度の知識や経験が必要になるのか。情報を加工したり、関連付けることで、判断できるようになるのでしょうか。単なる物知りと、賢者の違いはいったいどこにあるのでしょうか。
高度な情報処理は誰もが持っている普遍的な力ですが、情報の量が少ないと効果が現れにくいのです。ある程度何でも知っていた方が、情報を加工したりつなげたりするのに役に立つ。道具が無いよりは、あった方が色んな作業を行えるでしょ。
◆生きるための知力・・・
一つの事実を知っているということだけでは知識とは呼べないのではないか。複数の事実をつなぎ合わせることができる関連性を持たすことができなければ、それは情報としても役に立たない。
■森の中にある木
あることについて知っていても、それ以外のことについて知らなければ、それが本当のことなのか確かめることができない。つまり、偽物をつかまされても本物を知らなければ、偽物と区別することもできないということだ。
それは日常でもよく経験する。知人から噂を聞くが、他の誰もそのことを知らないから確かめようがない場合や、はじめて見る商品の値段が妥当なものなのか判断する場合である。
少ない情報でももっともらしく聞こえたり、信憑性のありそうな言葉は信じてしまいますよね。へんに疑い深い印象を与えるのも嫌だし、しつこく否定するのはあまりいい気がしません。
しかし情報が少ないと確かめることが困難になります。できるだけ多くあってほしいのです。森の中で木を選ぶように、見比べたり、並べたり、囲んだりして整理、関連付けを行えば自然と一つにつながる。それが知識です。
◆経験を通して得られるもの・・・
この記事は2004年の11月22日に[Blog]インテリジェント・ノートで公開していたものに修正を加えたものである。melma!blog2005年11月30日をもってサービスを終了していますので確認はできないでしょうが・・・
■知材、知力、知跡
ナレッジとは「Knowledge」と書きその意味は知識と訳されます。知識とは知っていることや知り尽くしていることなどで、理解や認識をしっかりできている状態のことだと思います。
しかし聞いただけのことを、ただ「伝えるだけ」で何も知らない人には知識があると感じてしまいます。つまり中身がなくてもいいわけです。例えるなら郵便配達の人は配達物がどういったものか全然知らなくても運ぶことで役目を果たすのと一緒で、言葉が伝わればその相手は大体の内容を自分自身で理解してしまうものです。
本当の意味での知識とはどんなものなのでしょうか。内容や概要といった物事の表情なのでしょうか。それとも手法や対応など、物事の活用方法なのでしょうか。超高層ビル・ハイテクコンピュータ・戦闘機・・・など物を創造する力なのでしょうか。
知識それは三つに分けることができる。その物事を知っている、その物事を十分理解して使える、その物事を有効に利用・活用して何かをすでに行ったことがある。この違いを一つの言葉として私たちは使っているのだろう。
◆本当は何も知らない・・・
自分の思い通りに進まない物事。わかっていてもできなくて、思っていてもうまくいかない。教えられたことをただ実行したって、教えられた結果を得るのは難しい。人生に答えなんてあるのだろうか。
■自分らしさも・・・
やりたいことや将来の夢など自分が目指す方向性はなんとなくわかってはいるが、明確にすることが出来ない時など、わかったような気になっていても何も分かっていないことは多い。
自分以外の誰かにそのことを指摘されると、自分では分かっているつもりだと反論したくなる。なぜやりたいのか・・・などちょっとした質問でも答えることができず、追い詰められてしまう。
そんな時こんな方法や手段に出会うこともある。あなたが成功する方法・・・これで何々ができるようになる・・・など自己啓発や成功マニュアルまたは成功ノウハウである。
実際にはその内容というのは、ほとんどが虚実ではなく事実であるが、それを扱う人間によって効果は0%にも200%にもなる。答えを単に答えとして受け止めると、それ以上に応用することができないのである。本質をつかむ力と、自分らしさを加える力が必要なのである。
◆一つ聴いて十の意味を理解する・・・