物事を考えることを思考と呼ぶなら、行動するのは思考ではないかもしれないが、自分の体をコントロールしているのも同じ脳であるから、体の動きも違う意味で思考と呼べるのかもしれない・・・
■分岐点
書いたり読んだりして言葉などを覚えることを暗記というが、同じように繰り返し行動をして体が思い通りに動くことを、体が覚えると言う。何も考えなくても体が勝手に反応することをそう言っている。
体の動きは一度覚えれば、頭で考えるよりずっと速く反応する。車の運転をしているときはブレーキだ!ハンドルだ!と思うより先に体がその行動を起こしているものである。
実は一瞬とも思えるその速さは、操作することができる。体が覚えた一連の動作を、途中で止めたり間に違う動作を追加したりできるのである。速さ自体は、意識で認識できる限界レベルにすぐに達するが、その間でも行動の変化は起こせるのである。
ブレーキを踏みながらも、踏む力の調整やメーター・バックミラーの確認、シフトチェンジの準備など、同時に行えることはいくらでもある。体で覚えた動作でも、意識さえすればいくらでも変えられる。
◆一瞬の動きの中に詰められたもの・・・
自分に対して、自分を知るも方法とは変な日本語である。自分で自分を知ることができないのか。それとも自分が自分をわかっていないということなのか。とりあえずレベル3の最終項目は知り方である。
■自覚
意識と無意識という言葉を知っているだろうか。前者を顕在意識、そして後者を潜在意識と読んでいる。ケンザイとは目に見えて明らかなことであり、センザイとは表に見えない隠れたものである。
良く意識を氷山の一角に例える。水面上に現れる氷の頭は人間の意識を表し、水面下の氷の本体は人間の潜在意識を表す。人が通常みせている意識部分はこの氷の頭の顕在意識である。
では潜在意識とはどの部分のことだろうか。水面下に存在する氷の本体とはいったいどういうことなのでしょうか。なぜ人は自分自身という一番身近な存在を己自信で自覚することができないのでしょうか。
潜在意識とは深層心理のこと。自分で自覚がなかったり意識はしていないが、自分の中に潜む心の奥底の自分のこと。煙草や酒やギャンブルをやめるには、深層心理の説得しかない。
◆感じて目覚めよ、本当の自分へ・・・
■―――らしさを持つ
人は自分に正直でありたいと思いながらも、自分らしく生きるのは苦手である。他人にどう思われるか、回りから浮いていないかと気にして、自己中心的に行動するのは控えるものだ。
それは協調性を持つということで当たり前の結果だろう。何も考えずに自分勝手に振舞うのも、いいとは言えない。自分の意思をある程度抑えることは身に付けるべきマナーである。
しかし、いつまでも自分の意思を抑えたままで、回りに全て流されるようなことがあるのはどうだろうか。自分の意見というのを持たないのは、自分が本当に望んでいることなのか。
自分らしさを自分自身との対話で、見つけることができているのならば、自分らしい生き方をしてみるのもいいのではないか。こんな一面を持つ私、こんな生き方を選ぶ私、こんな思いを抱く私・・・
◆これが自分と主張したい・・・
あなたが話をはじめる時、そこにはあなた以外の誰かがいることだろう。誰か聞き手がいるからこそ人は話をし、そして聞いてもらいたいと思う。誰も聞いていなければ話をやめ独り言かとつぶやくかもしれない・・・
■対話
人と話をするように自分自身とも話をすることがある。調子や気分はどうかと自分へ問いかけることや、大丈夫だ平気だと、自分に言い聞かせること。誰も答えてくれるはずなどないのに話しかけてしまう。
人は対話をすることで自分を知ることも評価をすることもできる。考えることで自分が何をして、どんな価値があるのかを判断できる。何かを感じることで、行動を変えたり、意識を持ったりできる。
対話は自分自身に新しい価値を与えてくれるものなのか。自分を変えようと思うのなら自分自身に話しかけてみることが近道なのか。もっとも親身になって話をしなければならない相手とは本当は自分自身ということなのか。
人は他人にどう思われるかを気にするが、本当は自分自身がどう思うかに関心があるのである。自分が正しいことをしているのか。間違いに気付きながらも方法を変えずにいるのか、そのことを気にするのは自分ということだ。
◆いつでも自分に正直でありたい・・・
行動によって人は作られ、行動によって人は変わる。理性や感情といったもの以外にも人の性格に左右するものがある。それは間違いなく行動である。どんな行動をしたか、どんな生活を送っているのかで人生は変わる。
■行動とは
手足を含む体の大部分は自分の意思によって動かすことができる。歩きたければ歩け、走りたければ走れ、座りたければ座れる。自分がやりたければできて、やりたくなければできないこともある。
理性や感情によってやりたいことや、やりたくないことは決められる。それをやるか、やらないかを決めるのも自分でできる。それによって自分がどう変わっていくかを知っている人間は少ない。
人の性格がその人の行動を決めるのか。それともそういう行動がその人の性格だと認識されるのだろうか。人の行動にはどんな意味が隠されていて、どんな価値があるのだろうか。
人は行動によって人格を形成する。毎日の習慣が性格を決め、価値観がそれを左右する。人の行動はどう感じるかの認識で変わり、どれだけ重いかの価値で決められ、あらゆる都合で意味をつけられる。
◆なりたい自分を演じることで・・・
お金は大事であることは、十分知っているだろう。そのため収入を得ようと仕事に就いたり、商売を始めたり、人に尽くしたりする。でもそのことにどんな意味があるのだろうか、何で収入を得ようとするのだろうか・・・
■報酬とは
何をするにもお金というのは大切である。経済はお金の流れであるし、モノを買うにも売るにもお金を使う。持ち運ぶには軽くて便利だし、どんなところでも通用する価値の交換手段である。
またお金は労働の対価として支払われるものでもある。あなたがしたこと、生み出した価値に対して、お金が支払われるのは普通のことだ。金塊で支払われたり、モノが支給されることはほとんどない。
報酬は自分で自分自身へ与える場合もある。そして受け取る場合、作り出す場合があるのだ。美味しいものを食べたり、服を買ったりする自分の為に行う行為。休日に自分の時間として利用する場合や、他人から無償で提供される行為。逆に無償で提供する行為の創造や、努力に対して現れる結果などがある。
ただ収入を得るだけではダメで、自分に対して褒美を与えるアウトプット、積極的に作り出すプロセス、そして遠慮せずに受け取るインプットがバランスよく調和することでスムーズな流れをつくる。
◆人と人との交わりがあるから・・・
自分らしさって何だろう。他人とは違う自分に気が付いたとき、人は自我に目覚めるという。自分という境界線を持ち、他人との間に壁を持つ。それは何を意味するのか。その答えの糸口はこちら・・・
■自分とは
自分自身に対して行う自分の行動とは、どんなものがあるだろうか。歯を磨く、顔を洗う、髪をきるなどの清潔を保つ行為や、興味のある本やテレビ、音楽、映画などを楽しむ行為、社会的に役に立つ行動や、自分を表現する趣味など、自分であるがゆえにすることは多い。
その行動の中には、自分がどう在りたいか、どういう人間なのか、どういう生き方をしたいのかが、しっかりと隠されている。綺麗で在りたい、カッコよく在りたい。お笑いが好き、ドラマのような話が好き、非現実的なことが好き。
ここでもインプットとプロセスとアウトプットが存在している。さてどれがどれなのかわかるだろうか。いつでもその関係はかわらない。自分の在り方、自分を知る行為、自分の存在を表す行為。
自分を知る行為、それは自分を受け入れるインプットといえる。そして自分の在り方とは、自分ならこんな時どうするかという自分の存在のプロセスであるといえる。最後に自分の存在を表す行為とは、どういう生き方をするのかということであり、アウトプットであると言えるのではないか。
◆どう在るべきなのか・・・
大きな分類である自分の何に対して考えるかを、考えてみたい。未来は遠く果てしなく見えるが、終わってみると短いものである。今の自分が何をするのか考えておいて損はない。
■自分の自分に対して
考える時の単純な法則は、インプットとプロセスとアウトプットという3つに分類することである。その中でも大きな分類の「自分の何に対して」だが、何がインプットで、何がプロセスで、何がアウトプットなのでしょうか。
インプットとは形式上のもので、別に何でもいいのだが入ってくるものの代表として、何かに対する報酬や収入がある。それに対して自分が何かをするアウトプットは、仕事や労働など行動であるといえる。
ではプロセスとは何であろうか。自分の中で滞留する情報とは何でしょうか。自分に対して処理される対象とはどこにあるのでしょうか。
最も重要とするのはこのプロセスで、自分が自分に対して行うことである。自分が自分に対して何を行うのか、そんな考えを持ったことがあるだろうか。実はこれほど大切なことはないと思う。
◆向き合うことの大切さ・・・
生きることを体系的に少しまとめてみた。少しでも将来のことを整理しやすくなればいいなと思っている。個人的な主観が入っているし、基準がどこからくるのかは明確ではないが、わかりやすいようにいつもどおりインプット、プロセス、アウトプットの三つで考える。
■大中小のアイピーオー
生きることの基準としてまず「誰の」というものがある。もちろん普通なら自分であることに異議はないだろう。実際にはこの自分の中には答えは存在しないことを、後でゆっくり説明したいのだが・・・
まず自分の「何に対して」というのが大きな分類である。そしてその何を「どのように」というのが中の分類である。最後にそのどのようにの「工程」が小さな分類である。
なぜ大中小なのか、なぜアイピーオーなのか、なぜ誰の何をどのようにどうするのかなのだろうか。その理由を知りたいですか。それともあなたはすでに知っているのでしょうか。
人間の思考はピラミッド型に構成されるらしい。大きなものから枝分かれして、小さなものへ論理的思考は展開される。その中でも情報が出たり入ったりするはずだ。それがI/O:アイオー(インプット・アウトプット)であるが、もう一つ情報の滞留するプロセスを用いればバランスがよくなる。
◆マルチマトリクスの思考展開・・・
人はたとえ重要であったとしても、この問題に対して解決する為の時間や、深く考える時間をとろうとはしない。誰からもそれが必要だと言われないし、誰からもその答えを教えてもらうことはできない。だから必要ではないとは言えないのに・・・
■なぜ生きる
考える時間を与えられたのなら、たぶんこんなことを考える人はいるだろう。私たちはなぜこの地球上に存在し、なぜ生きるのだろうか。自分が存在する意味は何で、自分が存在することは正しいのだろうか。
実は私たちが生きているのは、もの凄く珍しい奇跡であり、太陽との距離が少しでもずれていたり、地球の質量が違っていたら存在しなかったのかもしれない。必要とされて生まれてきたわけでも、意味があって存在しているわけでもないのかもしれない。
だからといって生きること全てが無駄と思ったり、存在に意味などないと思うことは、いいのだろうか。あまり考えもせずに答えを出していいのだろうか。私はそのことに対しても疑問を持っていた。
生きることの意味は、人それぞれが自分の道を歩みながら見つけていけば良いじゃないか。存在を生きることで示していけば良いじゃないか。人生を楽しむことができれば、そんなことどうでも良いじゃないかと正直思った。そしてエターナルオブジェクトを思いついたのだ。
◆その答えを見つけるために・・・