人間は皆同じ世界に生きていると誰もが知っていて、疑うこともしないだろう。距離は離れていたとしても、時間や空間の異なる次元に存在しているわけではない。だが人によって生きている世界の感覚は大きく異なるだろう。それが世界観というものである。
■観測者
生きている世界とは、用意されたものであって、誰かの手によって作られた創作物であると認識している人も多いだろう。確かに住んでいる家も街も、食べている食料も、着ている服も誰かによってつくられたものだと言える。
私たちはそれを自分の目で見ることで、そこには何があり、どうなっていて、どんな場所かを知る。他人を見ることで自分を知り、他の生き物を見ることで自分が人間だと自覚するのだ。
しかし誰もが同じ世界に生きているというのは勘違いかもしれない。同じ世界で自分だけが不幸な思いをしているとか、自分だけが苦しいと感じてしまうのは何故なのだろうか。他人を恨んだり、羨ましがったり、嫉妬したりするのはなぜなのでしょうか。
それは自分が見えている・感じているものが、世界の本質であり、誰もが同じ印象でその世界を感じとっていると錯覚することにある。つまり初めから枠を決め付けていて、それ以上のことが受け入れられないのである。それこそ小さな世界観の正体ではないでしょうか。
◆無知だと知る時・・・
過去三回「才能の開花」「人生設計」「資産形成」と、ピラミッドについて関連することを書いた。イメージをしやすいように構造について少し説明を加えよう。共通しているのは点と線で交わっているということだ。
■最も美しい形
私はピラミッドの三角が重なったような形が、合理的でとても美しく感じる。一つのものから二つの違うものへ、ただそれを続けていけば綺麗なピラミッドができる。三角が増えればピラミッドは大きくなるが、基本的な姿に変化はない。
人生だって資産だって才能だって基本的には、一つのことから始まって無限に広がっていっただけのような気がする。実際にそんな形を目にすることはないのかもしれないが、社会の構造などを連想するのはこの三角が多いのでは・・・
つまりどういうことなのか・・・少し説明を加えよう。ピラミッドは必ず頂点を一つだけ持つ。それは物事が一つの何かから始まり、いくつかの選択肢を持ったまま広がっていくということである。
人生においては、始まりとなる生まれてからの運命の全体像は、あらゆる可能性を考えれば無限に広がるピラミッドのようになるに違いない。一つ一つの分岐点は、その前後の過去や未来と線でつながっている。あと過去よりも未来の可能性は確実に広いということか・・・
◆初めは小さな一歩でも・・・
能力が優れている人を天才と呼び、人々は特別な存在として扱ってきた。幼い頃ほどそれは顕著で、年齢と関係のあるIQ(知能指数)「アイキュー」が注目されるのも、小さな子供でも優れた大人のように見えるからだ。
■花咲く人の種
才能というのは何も特別なことじゃなく、植物が花を咲かせるように当たり前のことである。毎日、水や栄養、光など必要なものを適度に与えるだけで、植物は芽を出し茎を伸ばし、花を咲かせて種をつける。
誰でもそんな才能の種を持っていて、興味や機会さえあれば芽を出して成長することができるのだ。どう育つか、どう育てるか、というのは方法的なものだから、やり方はいくらでもある。
じゃあ才能は種の質のことではないのか。育て方によって咲き方は決まり、育て方が同じなら同じように才能が開花するのでしょうか。実は人間にはもう一つ重要なポイントがあります。
それは「育ち方」です。いくら平等に水などを与えても、成長の速度はそれぞれ微妙に違うし、実の大きさや数は揃わない。人間の成長はそれ以上に複雑ですから、同じ指導や訓練をしても、成長のバラつきはなくせません。重要なのは小さな違いではない。
◆どれだけ愛情を注いでいるの・・・
ピラミッド型の最終形態それは生物の進化である。人も先祖をたどれば何か違う生物にたどり着くかもしれない。新しいものへと生まれ変わると同時に、多種多様に進化を繰り返してきた生物。それも全体を見るとピラミッドのようになるに違いない。
■人生の最終目的
自分が将来何になりたいか、小さな頃から決まっていた人や、今でも何か分からずただ毎日を過ごしている人、そのどちらも自分の人生は、自分が生まれてから死ぬまでの間だと思っているに違いない。
確かにそうかもしれない。生まれる前には何もできないし、死んだ後には何もできないだろうと思う。自分が何かを実現するには、生きている今しかない、そう考えるのも普通のことである。
しかし本当に生きている間しか何かをすることはできないのだろうか。あなたは死んでもなお人々に何かを与え続ける人たちを知らないのだろうか。あなたの先祖はあなたのために何も残してはくれなかったのだろうか・・・。
もうお気づきですよね。人は生きているうちにやったことが、死んだ後も役に立つことがある。作曲家が作った曲や、誰かが建てた建造物、親の躾(しつけ)や地域に残る文化や風習など、残せるものはいくらでもある。肉体が死を迎えた後も、精神は生き続けなければならない。
◆先祖を大切に・・・子孫を大切に・・・
僕達は一つだけの世界では生きていない。だからつながりがあって、それらが集まると自然とピラミッドを形成する。それは人間社会の階級だけの話ではない。人々が作り出す資産もまたピラミッドのように形成されていく・・・
■頂上に集まる資産
一人の力は限られており、多数の力の前では圧倒されてしまうのは知っていますよね。仕事やイベント、キャンペーンや争いまで、人が多く関わった方が規模が大きく効率的に生産されます。
何でも一人でできてしまう優秀な人は、一から全てやってしまいがちですが、チームを作って役割分担をすると、同じことが短時間で終わってしまいます。それは自営業と会社組織の差であったりします。
資産も効率的に大きく増やして生きたいと思うのなら、個人で扱うのとみんなに分配するのでは、どちらがいいかわかりますよね。そしてその大きな資産を誰が手にするかは目に見えていますよね。
ピラミッドの頂上には自然と大きな質のいいものが集まる。最下層の人からの小さな小さな資産が、流れて流れて上へ上へ昇っていく。それがこの世界の事実である。それを手に入れたければ、下の人をまとめるリーダーとなって、支えてもらえるように下の人を大切にしなければならない。
◆そらも足元も見続けなければ・・・
世の中を作り出しているのは一人の人間ではありません。あなたがどんなに凄い人だろうと一人で出来ることは限られているし、たくさんの人の力の前には圧倒されてしまいます。いつでも一つじゃないという考え方は大切です。
■組織的な中で
人と人は色々な関係でつながっています。まず生まれた時から両親とその先祖がいて、人によっては兄弟(きょうだい)や従兄弟(いとこ)そして子供や孫、甥(おい)姪(めい)などの血縁関係は誰もが持っているものです。
現代では子供の頃は学校に行きますので、友達や先輩、後輩、先生や校長、父兄(ふけい)の皆さんがいることでしょう。近所の人や、生活を支えてくれる人々、関わりのある人は数え切れないくらい多いです。
人間社会には縦と横の関係があるのを知っていたでしょうか。関わりのある人の集まりを一つとして捉えた時、そこにはある形が現れるのです。それはあなたの基本的な価値観にも大きな影響を与えます。
人は平等だといわれるが、それゆえにピラミッド型の組織を作り上げる。対等に扱えば優れた人は上にいき、力を持たぬものは堕落していく。それが上に行くほど洗練され、下に行くほど弛緩するので、自然とピラミッドのようになるのだ。
◆どんな物でもピラミッド・・・
あなたにはあなたの「主張」や「考え方」があると思います。私には私の理論や理屈があって、他人には変えることの難しい精神的なものです。もちろん決して変わらないのではなく、変えにくいだけですが・・・
■時と場所と場合と・・・
人前にでるときの服装は、TPO(ティーピーオー)を考えた格好をしなければ、違う意味で目立ったり浮いたりしてしまいます。このTime(時間)とPlace(場所)Occasion(場合または目的)という考え方は、いろんなところで重要になります。
服装に限ったことではなく、行動や言葉遣いなど内面的なことも、時間帯によって、場所によって、場合によって使い分けなければなりません。使い分けを「する・しない」ではなく、できなければならないのです。
たとえ自分が正しくて、周りが間違っていると理解していても、自ら引く方がいい結果になることもありますよね。逆の場合で、自分が間違っていると気付いたとしても、勢いでやり切ってしまわなければならない時が、きっと来るはずです。
自分の意思や理念というのは固く強く持たなければなりませんが、時や場によっては柔軟になれることもまた必要だということです。常に前向きで明るい性格を強調していても、人生には大切な人との別れなど、悲しみを味わうこともあるのですから・・・
◆変えることなく使い分ける・・・
突然ですが、あなたのやりたいことは何ですか。それはどういうジャンルに分類されますか。それを実行するには何が重要になるのでしょうか。こういう角度から自分のやりたいことを考えてみるのも、時には必要なのです。
■ベースの上に
私の基本的考え方は、自然界にある物理の法則のように、何にでも当てはまるような共通の原則があって、その上に多種多様な物事が存在しているというものです。上にといっても単に乗っかっているというものではありませんが、成り立っていると思っています。
上に乗るものをすべて「素材」としてマテリアルと呼んでいます。料理をするときの材料はマテリアルで、料理方法はベースと考えると、ベース理論が成り立ちます。どんな食材でも、調理する腕があれば美味しく作れる。
目的が「美味しいものを作りたい」というものならば、毎回良質の素材を探して、下手な調理を繰り返すよりも、まず腕を上げることで、どんな食材も美味しくアレンジできるようになることが基本ではありませんか。
それは料理だけではありませんよね。例えば車の運転だって、高級車に乗っていても運転が下手だと、笑われてしまいます。初めは教習所の車で、ゆっくりと基礎を学ぶことが本当に大事なことなんだと思います。
◆遠回りに見えても・・・
毎日違う人生、明日は違う課題が見付かり、明後日にはまた新しい何かが訪れる。それに対して一つ一つ最良の解決策を見つけていくことは、はっきり言うと時間の無駄だし、賢い方法ではない。
■たった一つの思いだけで・・・
物事にはよく見たり深く考えてみると、似ている部分や共通の部分があることに気付きます。それは私たちが普段やっている「グループ分け」にも反映しているのですから、否定することはできません。
連想ゲームでもリンゴは赤で、赤いものに郵便ポストがある、などと赤いもので区切っていますよね。色だけでなく、人なら苗字だったり、性別、年齢など分け方はたくさんあります。それでは課題はどうでしょうか。
今日も会社で怒られる、明日も会社で怒られる。その中にどんな課題が隠されていて、どんな共通点があるのでしょうか。ですが、同じ赤いものでもリンゴと郵便ポストは本当に同じグループなのでしょうか。
何かをグループ分けする場合に、間違った区切り方をしてしまうこともあります。ただ似ている、同じに見える、同じことだ、だからこうだ・・・こうやって頭ごなしになったり、柔軟になれなかったり、視野が狭くなってしまいます。
◆本当は物事の本質にあるのになぜ・・・
あなたが見ている世界は赤は「赤」で青は「青」で黄色は「黄色」であるが、他の人は本当に赤や青や黄色を見ているのだろうか。他人の目を借りることはできませんから、例え見ていたとしても確かめることはできません。
■想像することで・・・
他人にはどう映っているのだろうか、そんな疑問を抱いて想像を膨らませば、視点は自然と相手目線になります。相手と話をしていて自分がどう映っているのか、相手は自分以外の人からはどう映っているのかを想像すれば、視点は自然と第3者目線になります。
相手の目線になる、第3者目線になるということは、相手の気持ちを理解する、みんなの気持ちを理解する、その場の空気を読める、常識的で正しい判断を下せる、または真逆の非常識で独創的な考えを思いつけるようになります。
なぜ人は他人の痛みを理解できないのでしょうか。自分が嫌なことを、他人に平気で行うのでしょうか。自分だけが特別だと感じてしまうのでしょうか。その疑問に答えるのもこの視点にあるのです。
視野を広く持つというのは、単に目線の話ではありません。サッカーのようにフィールド全体を見渡せるだけでなく、次に何が起こるかを見る時間軸の視野、相手が何を考えているか、みんなは何を思っているのかを読む、心の視野が大事なのです。
◆全体の部分として・・・