世の中には様々な成功法則が存在し、どれか一つが正しいと言うわけではない。自分にとってそれが真実でも、他人にとってどうかはわからないが、基本的なことは多少似ているものである。
■考える力
学生の頃は将来のことなど何も考えずに、ただ毎日を楽しく過ごしていた。明日のことは明日考えれば、それで済んでいたのだ。基本的にそれは今でもかわらない。しかし将来のことを考えると、それだけでは終わらない。
自分がどうなっていけばいいのかと不安を抱き、何をしていけばいいのかと迷いを持ったとき、単純な作業を繰り返しているうちに、だんだんと明確になっていった経験がある。
今の自分が何をすればいいのかを知る為に、今の自分ができる単純なこととはなんだったのか、それによって明確になったこととはどんなことだったのか、私はみんなに伝えていきたい。
単純な作業それは、ノートにメモを残すことである。何も書かれていないノートに、自分が思ったこと気付いたこと、感じたことを書き綴っていくだけの単純な作業である。
◆7つの基本的なプロセス・・・
考える行為や、感じること、思うこと、その他様々な体と心の反応は、脳によるものが大きい。意識のレベルではコントロールできない無意識のレベルでは、想像もできないような複雑なプロセスが展開されているのだろう。
■全脳開発
脳はその能力によって、左脳と右脳に分けられることが広く知られていると思うが、複雑な分析や理屈を理解せずとも、実際に私たちはその天然のスーパーコンピューターを持っているのである。
だがほとんどの人はその高性能な演算装置を使いきれずにいる。持っていることに気付いていない人や、自分のは出来損ないの普通のものだと勘違いしている人も少なくない。
実際には性能が思わしくないものは、ほんのわずか存在している程度だろう。ほとんどは性能を使い切れずにいて、ほとんどは性能を引き出せずにいる。普通は自分でも気付かない潜在能力を秘めていたり、すでに能力を持っているものなのだ。
それは車のエンジンに似ている。アクセルを踏み込み回転数を上げれば、本来の性能を発揮して十分な加速が得られる。信じられないくらいの力を持て余さないように制御しなければならない。そして熱くなり過ぎないように冷やすことも必要だ。
◆頭が熱くなるのを感じたら、その時すごい力が発揮される・・・
今日お昼に食べたメニューや出会った人、話の内容など経験したことは覚えているでしょうか。意識をしなければ忘れてしまうこともありますが、大抵のことは記憶に残るものです。
■失わない為に
自分が体験したことは記憶に残りやすいと思います。人から聞いたことや本などで読んだことはあまり残りません。イメージが膨らむような印象深い話ならすぐに覚えるかもしれませんが、実際に身の回りで起きたことの方がはっきりと記憶できます。
記憶の中には役に立つことも役に立たないこともありますが、同じ記憶として管理されており、それはまるで大きな倉庫のように広く膨大な容量を持っています。パソコンのハードディスクのように容量に限界があるわけではありません。
実際はあるのかもしれないが、私の知る限りでは、覚えられないからといって記憶を捨てたり削除したりする人はいません。それだけ限りない容量を持っているのですが、記憶のコントロールは完璧じゃないだけに忘れることもある。
失いたくない記憶や、私の知らない誰かにも大切な知識を残していきたい。役に立つことや大切なこと、自分が経験した悩みやその解決策など、与えたいものはたくさんある。それを必要としている人のためにも何かを残していきたい。
◆生きた証を残しながら、新しい世代を育てたい・・・
知っているようでわからない。わかっているようで理解できていない。理解できているようで何も知らない。人は思っている以上に無知である。知らないことに気付かない限り、成長もしないし、他人から認められることもない。
■隠れた能力
学校では正しい答えを知っている優等生だけが褒められ、知らない人は覚える機会さえ与えられない場合が多い。テストでは答えが正解か不正解かを評価されるだけで、どうして間違っているか、どうすれば正解かを教えてはもらえない。
それは仕方のないことかもしれない。全ての生徒に平等に同じ学力や知識を与えるのは困難だ。多少の得手・不得手はあるし、限られた場所と限られた時間では、どうしても限界がある。
教えられる側が聞く気がないというのも問題だ。それよりも教えることが必要でない場合や、知らなくても全然問題にならない場合もある。必要ならば必要なだけ与えてやればいいのだ。
教えると言うのは詰め込むイメージがあるが、与えるのではなく掘り起こすと思ったほうがいい。教えるとは、その人が持つ興味や、すでに知っている知識を使って新しい知識ネットワークを構築させてあげることだ。
◆通ったことのない道を、存在しないと否定する・・・
普段どおりの生活をしていると、その日一日はごく普通に終わってしまう。何か新しいことを始めたい、または目的を達成したいと考えるなら、何かをしなければならない。その何かをほとんどの人々は知らぬまま過ごしている。
■一歩上の思考回路
物事を考えるレベルは常に一定の水準で保たれるのが普通だ。それを人は価値観と言ったり、その人らしさと呼ぶ。生きている世界、生活の水準、物事に対するその人の反応や行動は、物理の法則のように同じ状態を保とうと慣性が働く。
だからといって同じ生活のまま一生を過ごすのは嫌だと、思う人は少なくない。今よりも豊かに、今よりも幸せに、今よりも自由にと考えてしまうのが人間なのではないか。それが自然な考え方なのではないか。
確かに当たり前の幸せを感じる普通の生活もいいのかもしれない。リスクやストレスの少ない、変化が穏やかな生活は魅力も多い。でもそんなぬるま湯の生活がどうしても嫌だと思うこともあるだろう。そんな時はどうすればいいのか。
答えは意外に簡単だったりする。考え方を変えるのである。単純なことだが、実際には難しいことかもしれない。今までの考え方を一歩上の目線で、違う角度から見直さなければならない。時には今までの考えを捨てることも必要になる。それがどんなにつらい事かは体験するまでわからない・・・。
◆今を捨てても明日を取る・・・
約束の時間に遅れないというのは、一般的な常識と思いますが、必ず遅れずに来れる保証もありません。そんな時はどちらか一方が待つ側、そして他方が待たせる側になるわけです。両者の時間の流れには、もの凄い違いが現れます。
■時が過ぎるのは早いけど、待つのは遅い。
約束の時間に遅れ、人を待たせている時は、過ぎていく時間が速く感じます。遅れる原因にも色々ありますが、準備不足による出遅れや、他の用事と重なっている場合、何かトラブルに巻き込まれて予想外に遅れてしまうなど、自分に落ち度がある場合もない場合も様々です。
一方待たされている時は、もちろん相手に原因があるのは明らかですが、時間より早く着いてしまうこともあるし、無理な時間設定だったとも考えられます。それでも待つ側としては遅く感じ、時計を何度も見直しては相手が来るのを待つ他ならないのです。
待たせる方は急いでいても、時間は速く過ぎていくし、待つ方はどんなに時間をつぶしても、時間は止まったように進まない。そこには流れる時間と人が感じる感覚の違いを示す、時間の法則が働いているのではないか。
時間には全てのモノが共有する基準的な時間と、人それぞれが感じる相対的な時間があると思う。時間の速さは、全体分の部分で表現でき、自分が動けば動くほど、時間の流れは高速になっていく。その果てにコンマ何秒を争う世界がある。
◆加速するほど増していく、時間の価値とは・・・
スポーツでもゲームでもルールが存在するが、そのルールを無視して進めたときはゲーム性や面白さは失われ、何の為にルールを決めたのかを問いたくなる。どうしてルールが存在するのかを考えてみよう。
■実現する過程
世の中が自分の思い通りに何でもかんでも自由自在になるなら、どんなことをするだろうか。あなたが望むことを全て実現させるのだろうか。例えそんなことができたとしても、人はそれで満足などしない。
知識や技術を身に付け、能力やチカラを持つことは大切だ。言葉を話し読み書きを行って、数を数え計算をする。それによって日常の生活を円滑に進め、働きによっては報酬を得ることもできるし、その収入を使って何かを手に入れることも可能だ。
でもそれは何の為に必要なのか。知識を身に付けることが、技術を習得することが重要なのか。それとも何かを実行できるチカラが重要なのだろうか。いや違う、それらは生きるという目的の為の手段に過ぎない。
誰でも一つの手段・方法が絶対の条件だと思い込んでしまうことはよくあるが、行き詰った時や上手くいかないときこそ、それが一つの手段であって目的ではないかを、問うことが大切になる。それは絶対に必要だと思ったときこそである。
◆今一度問う。それは本当に必要か・・・
トランプなどを使ったカードゲームというのは、エースからキングまで13の数字と、ハート・スペード・ダイア・クラブの四つのマークが組み合わさった52枚とジョーカーを使い、様々なルールに従って行う。でも使うのはたった54枚のカードだけだ。
■組み合わせで無限へ
学校で習う国語や数学、理科、社会などは一見なんの関係もないように思える。漢字をたくさん書けるようになっても、それによって数学の成績が上がるわけではない。一つのことを学んでも、他のことには影響しない為、知識は点のように単体としての集まりでしかないのではないか。
パソコンのモニターである液晶ディスプレイも、最小単位で見れば小さなドットの集まりに過ぎない。しかしそれを数千から数万の集まりを一つと捉えると、それは絵になり、風景になる。
知識というのもたくさん集まれば絵のように風景のように、大きなものとして見えるのかもしれない。でもそれだけだろうか。私たちはもっと重要なことを見落としているに違いない。組み合わせ方によってもっと変化するのではないか。
単に知識はそれだけのものとして捉えるのではなく、もっと違う使い方、もっと違う組み合わせ方によって無限に変化を起こせる。液晶ディスプレイは絵だけではなく、動画も表現できるし、臨場感も与えてくれる。発想の転換が大事である。
◆あなたの知識は一枚の絵なのか、それとも・・・
私たちは数百数千の言葉を話す。それらは単体では抽象的であったり、曖昧な言葉になるが、組み合わせることで明確になったり、限定的になったりする。逆を突けば複雑な事柄も単体の組み合わせなのである。
■個別に学び得る
小学校へ通う前のほとんどの子供は、簡単なひらがなや足し算ならともかく、漢字や複雑な方程式などは解けない。それはいきなりできるようになるものではないからである。
どんな子供だって、最初は簡単なひらがなやカタカナを覚え、漢字を書くようになり、多くの言葉を知りながら色々なことを覚えていく。数学だって、足し算を覚え引き算を覚え、掛け算割り算、方程式とレベルアップしていく。
仕事においても遊びにおいてもそれは共通している部分が実は存在する。悪く言えばエスカレート、よく言えば成長となるのだろう。段階的にレベルアップすれば、どんな複雑な事柄も小さな要素の集まりに感じるだろう。
掛け算だって、足し算の組み合わせである。足すことができれば掛け算はできる。そうやって何かを学べば、新しい何かに挑戦することもできるし、基本の大切さを感じることにもなる。
◆軸となる点は大切なもの・・・
右か左か、上か下か、黄色か青か、二つに絞られた選択肢は決定的な差がなければ、選ぶのに苦労することがある。選択肢が多い場合には意外にも、絞ることができるが、少なくなればなるほど、人はもう一方の可能性を捨てられずにいる。
■方向性と選択
何かに迷った時には、二つの選択肢を思い浮かべると決断を早められることがある。これもいいが、あれもいい。こっちにするとこうで、あっちにするとああで、結局はどちらも選ぶことができないでいるのである。
そんな時考え方を変えてみるのが一番の解決法である。この迷うこと自体に楽しみを感じているのであれば、気が済むまで迷いを楽しんでもらえばいいのだが、答えを求めることが目的ならこんな方法を試してみるのもいいだろう。
自分は今現在、何を必要として、何によってそれば満たされるのだろうか。その質問をそっと自分に問いかけてみて下さい。きっとそれで解決することもあります。しかしそれでも解決しない方は、何が一番で何が二番かを決めてください。
決めれないというのは、自分のわがままからきていることもあります。あれもこれもと、良いトコ取りしようとして目の前の選択を決断できずにいるからです。自分が求めているものは何かを明確にした後で、一番を選ぶこと、二番を捨てることが最善の道ではないでしょうか。
◆どちらか一方がベストな結果になるとは限らない・・・